それは、ふと浮かんでは消えていく感覚である。あなたは、その制約の中に住みながら、最も幸せで自由な日々を過ごしていることに気付かないかもしれない。後で自分の人生を振り返った時に初めて、あの時代が自分の人生にとって本当に大切だったということを理解するのかもしれないのだ。私たちの多くにとって、あの時代に残してきたものはほとんどない。それでも、アーティストは、生活の中の日々を記録する究極の洞察力を持っている。

Mao Ishikawa, Red Flower, 2017. Courtesy of the artist and Session Press.

石川真生が発表した最新の自伝的写真集『赤花』のページの間からは、1975年から1977年にかけて、彼女自身が沖縄の地で見た人々の率直な生き様を垣間見させてくれる。思いもよらない占領の結果、当時はこの島の多くの若者にとって解放の時代となっていた。新参者たちは、武器や銃を持ち込んだだけではなく、地元住民が自らの文化的環境に沿うことなく生きたとしたら、その生活はどのようなものになるのかを示したのだ。

自由に生きるという選択は、たやすい一歩のようにも思える。だが、実際は違った。当時の住民は、多くの日本人がそうであったように、個人よりも集団に大きな価値を与えていた。この考え方に立てば、現状を維持することが何よりも大切だった。この信念は、何事も変わらず、誰もが自分の立場をわきまえるべきだというものだ。それが頭に植え付けられていた。しかしながら、自由を渇望し、自らの個性を表現する方法を求める情念は、人間の本性である。だからこそ、米軍の占領が始まった時、多くの若い住民は米兵を追いかけ、その文化をもっと知りたがった。彼らが学んだ教えによって、内面にある大胆さや激烈な本質があぶり出された。それは彼らが隠し持っていた武器のようなものだった。

Mao Ishikawa, Red Flower, 2017. Courtesy of the artist and Session Press.

石川は当時20代前半であり、本人の弁によれば「自由を愛し、若くて向こう見ず」だった。彼女の前に用意された豊かな機会を考えれば、それは正しい生き方だった。

彼女は黒人専用バーで働き始めた。当時のその歓楽街の光景は、人々の想像を遥かに超えるものだったかもしれない。バーで働く女性たちは、しばしば悪口を言われ、買うことのできる商品のように見られていたが、石川には隠された信念があった。

「米兵相手のバーで働く女性を見下す人たちがいる。彼らは、女性が売春婦だと見なしている。これはまったくの思い違いだ」。彼女は写真集の前書きにこう記している。「他人を見下すのは最悪の態度だ。私はそんな傲慢な人たちが大嫌いだ。バーで働く女性たちは、自分たちの人生を精一杯生きているのだ」

彼女の言葉は、これ以上ないほどに真実味がある。このころ石川は、数人の米兵とつきあった。そうした米兵の一部には妻がおり、家に子どもがいる者もいたが、この島に駐留している間、一時的なガールフレンドを作っていた。束の間の恋を楽しんでいたのだ。これはある意味、決して長くは続かない悲恋だ。

Mao Ishikawa, Red Flower, 2017. Courtesy of the artist and Session Press.

『赤花』は、このような物語の旅に読者を連れ出す。最初の方の写真は、比較的おとなしいものだ。友達同士が並んで座り、笑ったり、微笑んだりして和気あいあいとしているような写真である。しかし、間もなくそんな雰囲気はがらりと変わり、石川の奥深いプライベートな世界にはまり込んでいくことになるのだ。パンツしか身に付けていない一人の女性が、体をそらして伸びをしたり、胸を前に突き出したりしている。彼女は慎み深さなど構ってはいない。ここではそうする必要はないのだ。

石川がかつて体現した自由気ままなバーで働く女性たちの生き様と具象的なアートの世界が衝突し、ひたむきさを醸すスナップ写真の写真集が生まれた。愛、喪失感から、個人の自由を求める強烈な思いに至るまで、それぞれの写真が物語を紡いでいる。『赤花』は、プライベートなフォトアルバムがそうであるように、石川の才能を加えながら、それぞれの物語の瞬間を横断していくのだ。

「黒人を愛して何が悪いの!黒人相手のバーで働いて何が悪い!自分の自由を謳歌して何が悪いの!セックスを楽しんで何が悪い!」。彼女はこう記す。ともすれば島の人々をあぜんとさせるような行動も、彼女にとっては当時の現実そのものだったのだ。彼女は愛する人を奔放に愛し、彼女らしくあり続け、自らのセクシャリティを堅持した。それがどんなものであろうとも、完全な誇りをもって貫いた。

「私は、この狭い沖縄でオープンに、自由に生きるバーで働く女性たちが好きだった。私自身は、他の人が私をどう思おうが全く気にしなかったが、彼女たちの『自由に生きよう、やりたいことをやろう、自分に自信を持とう』という精神が、私をさらに解放してくれた」。この写真集の中で、彼女はこのように続けている。

このような理由から、彼女の写真には本物のクオリティがある。彼女の友人、愛する人、米兵といった被写体は、カメラの存在を全く気にしていなかった。石川は、バーで働く女性たちの人生を精一杯生きている様子を捉えられている。時に裸であったり、時に服を着ていたりする。そのどれもが、コンセプトなど語ってはいない。

服を着ずに並んで立っているカップルは、何も恥ずかしがっていない。彼女たちは自分たちが何者であるか、また何を表現しているかについて、恥じてはいない。彼女たちのアイデンティティは揺るぎないのだ。露出度の高い別の写真では、風変わりな若い女性が、上着を持ち上げて胸をむき出しにしている。彼女の態度はまったく慎み深くはない。レンズから目をそらすことなく、むしろ大胆にのぞき込み、見る者に自分を品定めさせようとしている。

 こうした非常に興味深い写真は、魅力的であるのと同様に希少でもある。これは、私たちが知る、ありきたりで、往々に使い古された写真家の段階的な写真集とは別世界のものである。

この写真集をじっくり眺めていると、これは誰かのプライベートの生活写真だと気付く。それは、赤裸々に、率直に、編集されていないのである。これは、本質を見ようとする石川が選んだそのままの形で贈る洞察力の賜物である。実に巧みな無修正の写真集なのだ。


Red Flower
by Mao Ishikawa is published by Session Press.

Mao Ishikawa, Red Flower, 2017. Courtesy of the artist and Session Press.


Posted 
2021-11-16
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